ソウル一極集中と地方過疎が深刻化する韓国で地方に移住する若者が現れ始めた。

都市生活に疲れたり、故郷に戻ったりときっかけはさまざまだが、口をそろえるのは「ソウルよりも豊かな暮らしができる」。学歴や大企業への就職が最重視される韓国社会で、過酷な競争を強いられてきた若者の価値観は変わりつつあるのか。(韓国中部・槐山=クェサン=で、上野実輝彦、写真も)
 「私たちは地域の文化や人々を大切にしながら、農業の可能性を広げるために挑戦しています」。約3万6000人が住む忠清北道(チュンチョンプクト)槐山郡で昨年11月、農業法人「モハノン」代表の李智賢(イジヒョン)さん(37)が語りかけた。地方で農業関連の仕事に携わる若者約50人が集まったイベントでのことだ。

◆かつては政府系研究員「夫婦で食事も一緒にできず」

 夫とともに法人を営む李さんはかつて政府機関の研究員としてソウルで暮らしていた。しかし生活費を稼ぐため長時間労働が続き、夫と一緒に食事をとる暇はなく、休日は疲れをとるためだけで終わった。
 「何のための人生なのか」。夫婦でそんな疑問を抱くようになり、2017年に槐山移住を決めた。地元の農家に教えてもらいながら20年に法人を設立した。
 慣れない地方生活だが、「病院が遠いことを除けば不便はない」と言い切る。「例えば田舎では買い物に行くのに1時間かかるが、ソウルでも渋滞が発生すれば同じ。収入が半分になっても生活費も半分なので、生活の質は維持できる。何より、田舎の方がストレスがずっと少ない」
 イベントに参加した崔暎晳(チェヨンソク)さん(40)も、26歳でソウルから故郷の平昌(ピョンチャン)郡に戻り、農村観光の事業を起こした。当時は「『都会暮らしをあきらめた落伍(らくご)者』との視線を周囲から感じていた」というが、今では「ソウルより豊かな人生を送っている」と胸を張る。
 「ソウルで良い大学、良い企業に入り、お金を稼いでこそ人生の成功だという考え方は、親によるガスライティング(誤った情報を植えつけて心理的に操ること)だった」。李さんはこう振り返り、「私たちの世代が新しい価値観を開拓し、下の世代も考えが変わり始めている」と語った。

◆少子化で消滅の危機、自治体の4分の1 国も対策

 22年の合計特殊出生率が0.78に沈んだ韓国で、教育機関や就職先のソウル一極集中は、少子化の要因の一つだ。進学と就職を求めて上京した若者の多くは、過度な競争に疲弊して結婚や子育てをあきらめ、若者の去った地方都市は子どもが生まれず衰退する―。こんな悪循環が長年、繰り返されてきた。同年の政府統計によると、全国228自治体の4分の1を超える59自治体が「消滅の危険がある」と認定されている。
韓国中部忠清北道槐山郡で昨年11月、自分たちの取り組みを紹介する李智賢さん(左)。会場はビニールハウスを改造したイベントスペース

韓国中部忠清北道槐山郡で昨年11月、自分たちの取り組みを紹介する李智賢さん(左)。会場はビニールハウスを改造したイベントスペース

 李さんや崔さんのような若者の地方移住を増やそうと、政府の行政安全省が展開する政策の一つが「青年マウル(村)事業」だ。18年以降、起業や定住への支援に取り組む地域を計39カ所指定し、約240億ウォン(約26億円)を投じた。
 事業には、地方過疎が進む日本の政策も参考にしたという。同省青年マウルチームの成仁在(ソンインジェ)チーム長は「決して多いとは言えない予算だが、情熱と強い意志で移住した人は人生を変えている」と話す一方、定住を下支えする就業機会の増加や医療インフラ整備を今後の課題に挙げる。
 若者の意識変革や、それに伴う地方活性化の可能性について、大田(テジョン)大で過疎対策を研究する金鍾法(キムジョンボプ)教授は「社会的地位や不動産に執着しない新たな世代の一部が、IT技術の発達などを活用し、地方移住に成功している」と分析する。さらに「地方再生を若者に任せた上で、若者が経済的に自立できる環境を整えることが行政側に求められる」と指摘した。
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